BLACK MOON, Model Yusei Yamamoto, Shot by Yokna Patofa

Friday 26 February 2010

倫敦から来た男

タル・ベーラ(TARR BELA)の『倫敦から来た男』が最終日だったので、観に行って来た。
今日を逃したら、京都まで追いかけるつもりだった。


タルベーラで検索してトップに出て来る説明→




















現存する最高の映画作家の1人、タル・ベーラ監督の最新作『倫敦から来た男』が、11月よりシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開される。
海辺で静かに生きる鉄道員のマロワン。毎晩「ガラスの檻」のような制御室から、漆黒の港と駅を見降ろしている。或る晩、彼は偶然にも「倫敦から来た男」ブラウンの犯した殺人を目撃してしまう。そして、マロワンは、殺された男が持っていた大金入りのトランクを、海中から見つけ出してしまう。その時から、ゆっくり、ゆっくりと破滅がやってくる。
タル・ベーラは、7時間半にも及ぶ大作『サタンタンゴ』や、驚愕すべき傑作『ヴェルクマイスター・ハーモニー』で観客を熱狂させ、ブラッド・ピット、ジム・ジャームッシュ、ガス・ヴァン・サントら著名な映画人から尊敬を集める。原作は、総発行部数が5億冊を超えると言われる「メグレ警部」シリーズの生みの親、ジョルジュ・シムノン。75年の時を経ても「これは私たちの物語だ」と監督を魅了した作品だ。
光と影を熟知したモノクロームの映像美、空間の概念を揺るがすカメラワーク、登場人物の心情をも見透かすような長回し撮影。細野晴臣や想田和弘も絶賛する、完璧な技巧と独自の哲学で構築された「本物の映画」が、ついにそのベールを脱ぐ。





理由は、偶然インターネットでイメージフォーラムのページに辿り着いたので色々見ていたら、
フィルムノワールと書かれていたから、これは観に行かなくちゃと思ったので、『ヴェルクマイスター・ハーモニー』も、観たのが随分前というのもあるかもしれないけどピンと来ないままにしてるし、タル・ベーラファンというわけではない。


思ったのは、タル・ベーラは確かに現代の、すごい監督の一人であるということだ。独特の描き方を持ってるし。


・波止場の船と、汽車が遠く、はるか下に見える。


カメラがそのまま延々と引くと、制御室にいる、港の様子を観ている男が映る。
男が左にゆっくりと移動するのをカメラは追いかける。窓ガラスの黒い枠が、一定の間隔で視界を更新し、
男の足音が印象的に響き、リズムを刻む
いつのまにかカメラはまた、窓を通り抜け、眼下の港と鉄道の様子を見つめる


魅惑的


男達が何かやっている。荷物を船から、港の、コンクリートの水たまりへ投げる。バシャリと音がする。


・霧






・女性達が面白かった。特に娘。


この映画の中では、多くのシーンが、通常のここでカットするだろうという仕方よりは2、3分余分に続いている、一つのやりとりが終わった後の場を延々と撮っている。
観ている時は、映画として、全然意味というか必然性がないのではないのかと思った
(この点で、Diceにあったトークショーで勉強になるようなことが書いてあった。














若木信吾(以下、若木):僕は映画を観た後に原作小説を読みました。小説の冒頭に「人はその時の数時間を、いつもの数時間と同じように見なしてしまう。しかし、あとになってから、それが異例の数時間であったことに気づき、ひたすら失われたばらばらの数時間を復元しようと努め、脈絡のない一分一秒をつなぎ合わせようとする」とあるんです。まさにこの文から、タル・ベーラ監督がこの映画をつくろうとしたことが伝わってきました。


・・のだけど、無駄に感じなくて面白い、どうなるかもっと観ていたいと思った所が二つあり、一つは娘がスープをおずおずと飲むシーン。
ティルダよりこの娘の方がずっと面白かった。
この娘は本当に、写真からもわかるように、謎めいている。実際の映画の中で、行動には謎めいた所は全然ないし、演技がどうとかのレベルを超えて、いるだけで神がかったものがある。(そういう映画では全然ないけど。)すごくナイスキャスティングだと思う。















 Erika Bókという方らしい。



その前のシーンに、カフェ?みたいな所で老人がゆっくりとペースト状のカレーのようなものを食べ、固そうなパンをちぎり、またカレーのようなものを食べ、固そうなパンをちぎり・・という所に対して、苛立ちを感じていただけに、「眠いか眠くないかは人(キャスティング)によるのではないか」と思い、
(あと、関係無いけどこのカフェみたいな所で、主人公の周りを回転するカメラワークもその意義というか必然性や機能が良くわからなかった。美的にも。わからないところは他にもいくつかあった。)


男性が、それぞれもう少し華があったら、もっとフィルムノワール的な映像美があったと私個人としては思う。




















もう一つ、面白かったのは、娘が働いている肉屋?で怒ったおかみさんと、その後ろで肉の塊を担いで来てそれを包丁でリズミカルに叩き切っている男を映している所。





ざっとインターネットを見てみたけど、この『リズム』について解説している人はいなかった。
靴の音、部屋でごはんを食べている時にしている変な音(何の音かわからなかった)、肉を切る時の叩く音、これらの断続的な音が自分としては一番気にかかった。
良く出されていた、『持続』との関係なのだろうか?
バカっぽい自問自答だが、「ベルグソン読まないといけないのだろうか?」

あと、他の人(映画監督たち)と比較すると評価の高さが腑に落ちないけど、タル・ベーラ自身が好かれてるのは分かる気がした。
普通に長回しがすごいし、なんか、わかりやすいというか、東欧以外の人が「東欧」に求めてるものがあると思った。


















観た後はピンとこなかったが、今となっては、映画っていいなと思ったし、観てよかったと思った。そしてもう一度観たいし、タル・ベーラの新しい映画も観たいと思った。
 

ただ、2007年の作品なのになぜあんなに古臭いのだろうと思った。
アップデートはされてないと思う。


一番好きなシーンのスチールを探したけど無かった。
石造りの壁と壁の間の、すごく狭く長い道。
その道に入ると、左側のガラス張りの白い部屋で、少女が床をモップで洗っている。
部屋は道路より高い場所にある。
主人公が少女に声をかける。娘なのだ。
二人は会話を交わす。
男はやがて娘と別れてその狭い石垣の道をずっとあるいて行く。
道のはるか彼方(の2分の1くらいの遠さ)で、男の子がボールを蹴っている。
カメラが動き、再び、掃除している娘の方を映す。
水がビシャビシャとモップで押されて流れ落ちる。
その横を、主人公を追って、男が通り過ぎる。


ここのシーンは、それこそカフカ的で、東欧的で、魅惑的だった。
思うに、唐突に部屋が現れて、そこで掃除をしているのが娘である、というのがいいのだと思う。
それと部屋が一段高く、道が、東欧にはありそうでもあり、またなさそうでもある狭く長いのもいい。
でもスチールは探したけど無かった。






どうでもいいような感想だと思うけど、まとめる必要がある気がしてまとめた。
違うブログに書こうとも思ったが、画像が良かったのでこっちに書いた。
でも、このスチールから思い起こされる様な面白さはこの映画には無いと思う。


無性に今、ウェルズの『審判』と、 S=Hの『階級関係』が観たい。