BLACK MOON, Model Yusei Yamamoto, Shot by Yokna Patofa

Thursday, 15 April 2010

コーシャ・フェレンツ「一万の太陽」上映





inuhoshihitoさんから、コーシャ・フェレンツ監督の作品がアテネで上映されると、教えて頂いた!
コーシャ・フェレンツの作品で日本で一番良く知られているのは、トリュフォーとゴダールの共同作や、シュバンクマイエルの作品も収められているオムニバス映画、「水の話」の中の、「詩人ヨーゼフアッティラの幼年期」であろう。
私はこの作品の静けさにノックアウトされた。
長編はまだ観たことなく、ずっと観る機会を待ち望んでいた。
その待ち望み具合については、このブログ内検索でコーシャ・フェレンツで出て来ます。
inuhosihitoさんと知り合うきっかけになったのも、この監督でした。


私はmacなので簡単には見られないのですが、・・
岐阜のアーカイブにも作品があるみたい。
http://www3.pref.gifu.lg.jp/pref/eizoubunka/archives/archives/detail/21


inuhosihitoさんから教えて頂いたスケジュール


「シネマテーク・ジャポネーズ・アーカイヴス・セレクション」
日程は、下記みたいです。


21日
16:10『ポケットの中の握り拳』
18:30『一万の太陽』


22日
15:40『人形/ラルカ』
18:30『砂時計』


23日
16:10『一万の太陽』
18:30『人形/ラルカ』


24日
14:40『ポケットの中の握り拳』
17:00『砂時計』




アテネフランセ http://www.athenee.net/culturalcenter/


コーシャ監督は、親日家で、何気に講演とかたくさんしているみたいだ・・




ネットで検索していて、出て来たもの
http://www.desk.c.u-tokyo.ac.jp/j/d_091125.html


以下引用


コーシャ・フェレンツ(Kósa Ferenc)

映画監督。1989年のハンガリーの体制転換に際して、知識人として積極的に行動し重要な役割を果たした。体制転換後、国会議員として16年間政治にたずさわる。

ハンガリー東部のニーレジュハ-ザ生まれ。

1963年にブダペストの演劇・映画学院を卒業し、「バラージュ・ベーラ・スタジオ」のメンバーとなった。

1961年に、「あるふだんの日に関するエチュード」で映画監督デビュー。短編映画「光り」(1962年)、「ある湖の歴史についてのノート」で、作品のテーマを叙情的な比喩表現として映像化した才能が認められた。その後、劇映画において、市民的立場を強固に守り抜く勇敢さと社会と歴史における個人の自己責任に関する思想が、特に、「一万の太陽」(1965年、1967年公開 カンヌ映画祭最優秀監督賞受賞)、「審判」(1970年)、「雪が降る」(1974年)「ゲルニカ」(1983年)、「もうひとりの人」(1987年)で描かれ、多くの賞を獲得した。

「もうひとりの人」(1987年)は、東欧革命の2年前の1987年に、公開されたものだが、ハンガリー映画としてはじめて、1956年のハンガリー事件を反革命的な暴動だったとする従来の公式視点を排除して、正当な革命だったと描き直したものであった。その点で、この作品はハンガリー国内で大議論をまき起こし、ハンガリーを東欧革命の突破口とする機運を導く上で大きな役割を果たしたと言われている。だが、当時、まだソ連からの反発なども配慮し、国外への作品輸出は禁止されていた。そのため、1990年10月、東京の東欧映画祭での公開が最初の国外上映だった。

1998年には、岐阜県の「白川郷」と「正眼寺」などもハイヴィジョン撮影している。

また、ハンガリー革命を経験し、ベルリンの壁崩壊のきっかけとなった1989年5月の「ヨーロッパ・ピクニック計画」の指導者でもあった。







この中にある「審判」という作品が気になる。..


評価がもっともっと高まって、もっと多くの場所で、多くの人に、作品が知られるようになるといいなと思う。

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