BLACK MOON, Model Yusei Yamamoto, Shot by Yokna Patofa

Monday, 25 June 2012

help want both maybe






研究-2  不適正/言葉への
何もわからないただ交差点で風が吹いたときに止まってと言って、仕事中のサラリーマンとかOLとかに白い目で見られながら赤信号中に君のこと撮った、写真の意味も愛の意味も今でもわからない今はもっとかもだけどなにかなくしたくないっていうおもいとか、君の味方になりたいっていう感情とかの、不完全な避難経路としてレンズがありフィルムがあったんだと思う君はめったに笑わなくてそれがぼくの罪悪感を薄めた、これは悲劇的な話じゃない細い管の中を行ったり来たり 






















電車みたいな視線。 
渋谷をさまよう魂とは? 
渋谷へ行ったらなにを感じる? 
愛、うるさいから渋谷は嫌い。 
友達になれそうな奴なんか誰もいない悪趣味なコピーにバイト代つぎこんでる穴ばかりだ だからぼくらの舞台があるとすればもっとワールドエンドな場所だ 
私はモデルを探して街をさまよっていて、私自身が、中学生の時にいた場所について、ことこまかに想い出し、中学生と成り切る、しらみつぶしに、毎日、グルグル回った。 
FBIが猟奇殺人犯を見つけるときのやり方だ。 
一ヶ月経ち、二ヶ月経ち、そろそろ学校の単位も今期も落としそうだと死にたくなり始めた頃、その三角錐みたいにセンセーショナルな深いとがった地下道の中で、君を見つけた 

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贖罪 

染み渡る様な 
人生全部の圧縮。 
不適正。言葉への 
(2012 6 20頃-2 赤 朝)



緑の光線が目に入って赤い涙が流れて来てこの電車の軌道についていけないレンズの深度に潜り込む
カーテンを君は引いてぼくにキスした暗闇の中で、味が動き回ったなんでこの人生を選んだのか?正の方向へ築き上げられて来た固い体を持つ者達、コンクリート、数字、法律、言葉・・・・。それらの奥で
君のノートは宣言ばかりでぼくはそれを信じない
君はいつもチカチカした光の前で困ったり笑ったりしていて、体に入らないバラバラの愛を投げつけて来るだけで、音がすると上を向いて写真を撮るだけで飛行機には乗らない
非衛生的なテクノみたいな汽笛が響き渡って、ああ、これがシンフォニーなのかと乾いた地下道で
  
   僕らは23階で降りて、ぼくらの出会いを祝福すべきだといったこんな風にかわりなく、疑いなく、すべてもいつも過ぎ去って行く、どうしたらその変化を止められるんだろう、吐き気がしてぼくは吐く、小さな部屋の中で、本とDVDだらけの価値のない、生かされた、君との体験を、形にしたいような気がしていた君が消えたことが死が比喩でありえるような形で地面が君を飲み込んでハッピーエンドはだからもう有り得ないよ、君がいない限りはだけど私はこれを形にしたいんだいつも楽しくて優雅なUFOがぼくたちを追いかけぼくはリアリティとアンチリアリティの境界線をバランスをとりながら歩いては、夏には、日射しがまとわりついてきて気持ち悪かった反射が目に入って来て痛かった、冬には、影から、道路を横切って影へ歩いた、春には、桜が咲いていた、宇宙の彼方に、本当に私の願いすべてを叶えてくれる法則のようなものがあるのなら、今すぐ私の力を開放して、私が伝えたいことを 伝えさせて欲しい、だけど実際には純粋な「伝えたいこと」なんてきっとなくて、すべては微弱な力の拮抗とか、交流によって成り立っている幻のようなものなのだ。
コンクリートに手を触れると、エレベーターの箱の中に入ると、私は実験用のマウスのように生かされてる、たてものの中で 誰も観察なんかしてないけど 人嫌いで、最近は暑くなって来たのでますます外に出ない でも概念としてはこの季節が一番好きだった。コントラストが強くて、地球から全てが乖離していて。押しとどめてくれる様な、曲を聴きたい、きみはいなかった 何もたずねなかった ぼくらは屋上にのぼるべきだ33階までしかエレベーターは行かないんだから、もっとelevateして、もっと誰も追いついてこないような惑星へ行かないとぼくと君との周囲には海王星の霧がかかっていて今は気持ちいい、それが大気圏とか雲とかの役割をして、日射しから守って、ここには森が出来て生命が生まれた。だけど海王星は気まぐれで、これがいつ消えてしまうんだろうと私には常に思えて仕方なかったし、空には飛行機が飛んでぼくらを見ていた、飛行機はぼくらの間では特別なものだった君をあるいみで好きになりかけてた、色んな運命の出会いの証拠を集めたりして君の好きな死んじゃった俳優の演技はすごく良かったまるで演技に見えなくて、実際主演の二人は本当に恋に落ちたらしいけど、最後には高い所から川に落下して死んでしまう結末まで、泣きながら女の子が死体に駆けよるところなんかも現実そっくり。良く思うことは、こういう形で虚構と現実が似ているのは・・・・・。作家が創造性を発揮して正直になる中で、どこか未来とふれてしまうのは良くあることじゃないかと
それは怖い考えだけど、 良いのか悪いのかわからないただそう見えるだけで
実際にはそんな考えは全然好きじゃないけど。

私はしゅんの弟に、この世界はどうやってできているのかを教えた。世界は永遠に広がる延長で出来ていて、その端には誰もいけない、真ん中に裂け目があって、外を警備員が時々歩いたり覗いたりしている。その懐中電灯の光が時々裂け目から差し込んで来て、朝になるんだよ。

星はなんなの?
星は珊瑚礁みたいなものだよ。海にあるやつ知ってる?それから硝子の破片とか、焚き火にも似ている、ピカピカ光ってるのは、ビルが夜に光るのと同じ仕組み。


(6/ 21日 part1)



ちさちゃんが私の部屋に遊びに来た、私はなぜだか、悪いことをしているような気分にもなって・・・ だけど部屋にはあのアルビノのトカゲもいた。ちさちゃんは驚いて、爬虫類は嫌いだけどこのトカゲさんは可愛いと言った。 トカゲは眠そうにしていた。部屋に遊びに来られても何もすることはなかった。 一応、思春期の女の子が来るということで念入りに掃除したけど。5歳も下だと、もはやどんな話をしても、どこか冷静になってしまう所があって・・・、
私自身、5年前の自分はまるで他人みたいだし、今の彼女を見ても、本質じゃないような感じがしてしまうのだった、
私は彼女と仲良く成りたいという以上に、人間一般を理解したいというような気持ちに駆られていた。彼女はいい子だけど弱い所があって、痛いほど献身的な愛を「持って」いた。まるで行く所にはどこにでもついてくる子犬のような感じで、
時々、実際にやるつもりなんか全然なかったけど、今、私が突然ある意味で蹴ったり叩いたりしたら・・・どんな顔をするんだろうと、胸がしめつけられたりした。でも多分、それはしゅんも同じで、もしかしたら、見えないだけで、しゅんの方がもっと世界を知らない子犬みたいだったかもしれない
私は動物を飼ったこともこれまでなく、なつかれたこともないし、半ば諦めていた。自分は、可愛いものを可愛がっても、特別好かれるタイプではない、動物や、子供や、後輩に好かれている人を見るとしっとした。悲しかったのだろうが、そんなことで時間を費やすのもバカだと思い、そういった、ちょっとした感情とは接続を切った。

今、私はアルビノのトカゲをどうしても欲しいと思い、そいつを飼ってる、こいつが、私の心の中に飛び込んで来たのは、こいつがなつくとかなつかないとかじゃなくて、こいつが自分に似ていると思ったからだ。この小さなトカゲは、私の破片のような感じがした。つまりこれは自己愛の結果だった。
私は自分を甘やかしたくて、こいつを買ったのだった。こいつはいつもねむそうで、鈍感で、ゆっくり動き、とても小さくて可愛い。ハコの中で、私のことなんて知らないかわりに、他の誰のこともやはり知らないのだ。
こいつの愛が、どの辺りに存在するのか、よくわからなかった。
こいつの愛を、見出そうと努めることは、人間がつくった、愛というからっぽでカビの生えたタンスを回収車の中に放り込み、そのかわりに灰の中から広角で見られる結晶を一つ拾って、世界をモヤモヤとした混沌のヴィジョンの中で、前歴史的に見るチャンスを与えてくれた。
そんなわけで私は、小さい動物を、一年前でさえ想像だにできなかった優しさで飼い始めたわけだが・・・・・。同時によくわからない懐かれ方で、二人の年下とも交流するようになったのだった。
自己の破片なら、私を裏切らないから、私はそれを愛す。
だけどその自己とはなんだろう?

もはやその自己ですら、他者のように、まるっきり違う他者のように遠い、



胸が遠い惑星からの標的になり、
私達はコンクリートとアスファルトで構成された夏を歩いた。
彼は夏服姿で、とてもやせていて、まだ色が白かった。
私達はマクドナルドに入り、私は彼にジュースとポテトをおごった。
しゅんはハンバーガーはあんまり好きじゃなかった。
映画を観に行こうよ、だけど面白いのは全然やっていない。遊ぶって一体なにをすることなんだろう
ずっと孤独だったからわからなくなっていた 何も買いたくなかった 何も見たくなかった
無駄なものは何も要らなかったが、このまま道をずっと歩いてどっかの端に行けたら面白そうな気もした。
だけど、時間的に考えればいつだって今が一番端っこだよ、
どこにいたって、今この時私達は時代の一番端にいられる


コントロールできない車に乗っているような気持ちで、
いつ真っ直ぐな道が終わって、どっかにぶつかってもおかしくなかった
日記を毎日書くことにした、写真と共に。だけど写真と日記にはまるで関連性を見出せない。
写真は私にとって日記ではなかった。
写真は「押す」ものだった。瞬間を、
(多分、「好きだ」、と、)押す、
押すことで、応援したかった
ぼくは言葉がうまくしゃべれないから。君が世界中で誰よりも
素晴しいと。


ここに書かれていることは、勿論全部ではない、すぐにパラドックスが攻撃してくるわけだが。
一つの流れを私は書いた。
それは愛に近い、

LOVE

and 

HELP

WANT


BOTH


MAYBE


ぼくの心の中に大きな雲がのしかかる
大きな心臓が、大きなゴミが、
大きな恋が、大きな夢が、
大きな塔が割れ、大きな電車が裂ける
大勢の人が死に、多くの動物たちが逃げる。ぼくはその中を歩いていく。
誰もぼくになんて、脇目もふらない。
私はどうしてここにいるのだろうか?

君を好きだから。好きという気持ちがここにあるから。最初に自分に止めた言葉を、
ぼくはここでまた使う。
そして何度も何度も繰り返す。
空は綺麗。花はきれい。
子供はうまれる、人は死ぬ。
すべてこの世のできごとだ、
愛は深い。愛は多様で、奇妙で、むづかしく、だけど
たしかにある 恐竜たちは
ぜつめつし、ぼくが生きのこった。この感覚を肯定するには
そして否定するには、
あと何年必要だろうか?
ぼくは早く大人になりたい。そして
やつらをこてんぱんにしたい。
あの人は死んで、ぼくはよみがえれと毎日言う。ぼくたちはまだもっと、
先に進めたはずだと思う、傷を残した、すれちがっただけでも君は
現れているの? ぼくは君の兆しをさまざまな場所で見つける。
ぼくらは互いの視界の中に入っていた?出会いということが
まず一番のなぞで、神秘であって・・・・・、
ぼくは思う、これはとても高いと、高くつくと。
だからぼくはこの人生をかけて思う、

この人生をかけて思う




Tuesday, 12 June 2012

ヨクナ・パトーファ


yokna patofa - View my recent photos on Flickriver







Yokna Hasegawa/長谷川億名
Film director,Photographer





















Selected Works ・2012 "Hard-boiled Love Age"(Comic,47 pages,published in "Infomental vol.1") ・2011 "Eat Yr Heart"(4 min) "Eraser"(22 min) "Infomental 2011"(30 min) "Espèce種"(Series) ・2010 "Stormy"(8 min), "Xtal"(Performance,120 min), "Rahole"(20 min)-Screen Shots "HTRK-Body Double Live @ICA,London" "Illuminations"(Performance,20 min) ・2009 "Look Down the Line" ・2008 Susan Matthews "Splinters" Music Video(5 min) In Broken English"Time is a thief" Music Video(5 min) "East is Red"(30 min) ・2007 "The last day of archaeopteryx X-i am here,in the fossilized Exalted Cyclops' womb始祖鳥なんとかかんとかの死、ここは石化した巨人の胎内". Darkside Mirrors"TELEPHONE" Music Video(5 min) "Victim Image"(9 min) "BOY MEAT MERMAID BLOOD synopsis "(44 min) ・2005 The pop group"Forces of Oppression"(Unofficial video) "Stray cats want to sleep in your bag(10 min)" ・Before 2004,my first video since 15 years old "Hiroshi,Nagasa,and Me,Free"(3 min) Selected Exhibition ■Fluxus5,Texas/Curator:Cecil Touchon/『Rahole(30 min,2010)』Film Screening(2011) ■CTM Festival Ghosts off the shelf,Berlin/Curator:Thibaut de Ruyter/ 『The east is red(5min,2008)』Film Screening(2012)


Award
2013
Canon New Cosmos of Photography 2013/Honorable Mention award(Selected by Masafumi Sanai)
title:Ascension River
キャノン写真新世紀 2013 佳作(佐内正史選) 
タイトル:"アセンション・リバー"

2008
Individual film festival 2008 excellent award
title:"East is red/Azanaeru nawa no gotoshi"












Saturday, 9 June 2012

Guide-1

かつて私は一ヶ月くらい、一日に三回アシッドをやって生きてた。夏で、16才。その年の家族旅行でマウイに行ってて、クレイグっていう友達をつくった。素晴しいドラッグのコネクションを持ってる地元のサーファーで、毎朝、一二枚、Lをキメてから、ヒッチハイクで遠くのビーチまで行った。そしてそこで一日中過ごした。ぶっとびながら。白昼夢の中で。わけのわからないことを呟いて。そして、海の中を泳いだ。 
 数週間後、迷走し始めた。少し泳いだ沖に、珊瑚礁を見つけたの。それである日私達はホテルから盗みをやった。トラックをパクって、ホテルの部屋の家具をビーチに輸送すると、我らが略奪品を一つ一つ引っ張っていった。波の中を進み、海の底へ潜って、そして珊瑚礁の中の、この巨大な、洞穴みたいな隠れ家に、椅子とか、絨毯とかを全部揃えて、それから狂ったように水面に戻った。私達の計画は、この洞窟の中に住むことだった。家賃なんかタダで、狂った現実から遠く離れて。海の中じゃ呼吸出来ないことは、私達にはぜんぜん思い浮かばなかった。







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一年前、Spinマガジンに記事を書いていた時、編集者が私に、何日間か、ディヴィッドというHIV陽性のホームレスのティーンエイジャーとその友達の連中と過ごして、起こった事を記事にする仕事を寄越してきた。ディヴィッドの友達の1人は、背が高くて金髪の天使的なパンクロッカー、かつ、たまに道端で体を売ってるSNIFFLESという子だった。彼は私に自分を買わないかと言って来た。で、たぶんその時孤独で、わりとウツだったから、私はその通りにした。事態は・・、彼は殴られたり叩かれまくるのが好きで、我が想像力の、暴力的思想のため存在する更に凍てついた別室をもってしても、・・私は怖じ気づいた。その時私はクリスタル・メスに夢中だったから、ベットインする前に立て続けに一グラム吸引した。クリスタルは私を、異常な感じにそそらせた。SNIFFLESはエクスタシーを少しやってるだけだったから、全身あったかくて不死身みたいだった。とにかく、事態は少々正気じゃなかった。私はもっと詳しく書くつもりだけど、それは今ではない。まず、いくつかのことを整理する必要がある。そうすれば、気楽に、もっと多くの事を感じとれるだろう。 


玄関のドアを開けるや否や、事態は明らかだった。「おいおい、お前らまじでヤバそうだぜ。」俺はLukeの打ちひしがれた顔から、スコット、メイソンと順に見ながら言う。 
「俺はなんともない」と、メイソン。それから彼は部屋の中にふらふら。 
スコットは俺の肩を通り過ぎると、方向転換して、「ねぇ、君。」とウィンク。「リビングルームは・・・どこだっけ?」 
ポケットをパシパシ叩いて、ルークは最後の一発のアシッドを見つけ、差し出して来た。「これをどっかへやってくれ。」せがんでくる。「今すぐに。」

デニス・クーパー「Guide」


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これから趣味で少しずつデニス・クーパーの小説や記事を(出来そうな所を)翻訳して行きたいような気がしている。
理由はただ読んだだけじゃ自分の頭に入って来ないのと、デニスの小説はすごい視覚的で、その中に入り込んで一体化するのはとても贅沢な体験に思えるからだ。
もちろんこの小説の一人称は「俺」が一番適当で、「私」は有り得ないんだけど、自分が入り込むのが目的なので、今はこうさせて貰う。
それから間違っている部分もあると思うので、その時は教えて頂けたら有り難いです。

いや、そもそも発端は、SMOTHERED IN HUGSの中の1995年の文章、THE BALLAD OF NAN GOLDINを自分の写真の冊子の為にずっと前から翻訳しようとしていた。理由はナン・ゴールディンという人にとても興味があったし、自分の写真を撮るのに力を与えてくれるような気もしたし、何よりデニス自身の当時の状況も赤裸裸に書かれていて胸を打つ、いい文章だと思ったからだ。このSMOTHERED IN HUGSという本自体は、デニス・クーパーが得意とする方面に関しては勿論のこと、レオナルド・ディカプリオやキアヌ・リーブスのインタビューから、村上龍(この記事はすごいウケたし身につまされた。神戸の震災の後のインタビューで、内容的には冷笑的なものとなっていると思う。)、デレク・ジャーマン、ラリー・クラーク、ロベール・ブレッソンについてのデニス・クーパーの思い入れについての記事、またはリヴァー・フェニックスやバロウズの追悼文など、雑誌等で公開された文化全般についての多岐に渡るわりと短い文章が沢山集められている。そしてその中のAIDSという記事とその体験が、このGUIDEという小説の元になっている。ヘイトロックのnigelに、まず翻訳を始めるなら小説よりもストレートな文章の方がいいだろうということで教えて貰った。
更に、95年、という年、九十年代の半ば、という点でも面白いと思った。

だが、それだったら現在のナン・ゴールディンやデニス・クーパーにもインタビューしたいし、もっと深く掘り下げたいとも思ったし、自分の写真にも歯痒さがあったので、そのままにしておいた。内容は、ナンの「THE BALLAD OF SEXUAL DEPENDENCY 性的依存者のためのバラード」というスライド・ショーにデニス・クーパーが足を運んだ所から始まって、彼女の生い立ちや写真を始めたきっかけ、現在までの経緯が、彼女自身の言葉を織り交ぜて書かれている。

「KIDSとか、トレインスポッティングといった最近の映画を考慮すると、とてもパーソナルな世界の、注意深く、親密で、徹底的な視点がどんなに驚くべきものだったのか感じるのは難しい。だけど当時は、そんなものは他に無かった。(デニス・クーパー)」

「ええ、多分私は姉のことを考えていると思う・・彼女の死は、私の人生を完全に変えた。私は生活の中で、作品の中で、絶えず、私と彼女の間にあった親密な感覚を探している。それから友達の死についても考えている。姉の死は、もっと抽象的で、象徴的なものだった。彼らの死は、もっと現実的で、この計り知れない遺産を後に残した。
だから私は写真を撮るの。とても沢山の人たちが、ひどく恋しくて仕方がないのよ。」














Tuesday, 5 June 2012

荒木 経惟「過去・未来 写狂老人日記1979年-2040年」


荒木 経惟「過去・未来 写狂老人日記1979年-2040年」
Nobuyoshi Araki “Past tense – Future, 1979 - 2040”

会期:2012年5月25日(金)- 6月23日(土)
会場:タカ・イシイギャラリー(東京・清澄)
オープニング・レセプション:2012年5月25日17:00 - 19:00

写真は日記なんだよ・・。しかない。写真ていうのはたった一日のコトに過ぎない。ていうようなことを感じさせるコトと、たった一日のことがヒジョーに過去も引きずってくるし、そして未来もずっと続く。たった一日のコトが、その二つの感じがあるから。どうしてもね、はっきりと日付を入れたいわけです・・。悔しいから今は未来を撮っている・・。
2012年2月10日 荒木 経惟