BLACK MOON, Model Yusei Yamamoto, Shot by Yokna Patofa

Saturday 9 June 2012

Guide-1

かつて私は一ヶ月くらい、一日に三回アシッドをやって生きてた。夏で、16才。その年の家族旅行でマウイに行ってて、クレイグっていう友達をつくった。素晴しいドラッグのコネクションを持ってる地元のサーファーで、毎朝、一二枚、Lをキメてから、ヒッチハイクで遠くのビーチまで行った。そしてそこで一日中過ごした。ぶっとびながら。白昼夢の中で。わけのわからないことを呟いて。そして、海の中を泳いだ。 
 数週間後、迷走し始めた。少し泳いだ沖に、珊瑚礁を見つけたの。それである日私達はホテルから盗みをやった。トラックをパクって、ホテルの部屋の家具をビーチに輸送すると、我らが略奪品を一つ一つ引っ張っていった。波の中を進み、海の底へ潜って、そして珊瑚礁の中の、この巨大な、洞穴みたいな隠れ家に、椅子とか、絨毯とかを全部揃えて、それから狂ったように水面に戻った。私達の計画は、この洞窟の中に住むことだった。家賃なんかタダで、狂った現実から遠く離れて。海の中じゃ呼吸出来ないことは、私達にはぜんぜん思い浮かばなかった。







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一年前、Spinマガジンに記事を書いていた時、編集者が私に、何日間か、ディヴィッドというHIV陽性のホームレスのティーンエイジャーとその友達の連中と過ごして、起こった事を記事にする仕事を寄越してきた。ディヴィッドの友達の1人は、背が高くて金髪の天使的なパンクロッカー、かつ、たまに道端で体を売ってるSNIFFLESという子だった。彼は私に自分を買わないかと言って来た。で、たぶんその時孤独で、わりとウツだったから、私はその通りにした。事態は・・、彼は殴られたり叩かれまくるのが好きで、我が想像力の、暴力的思想のため存在する更に凍てついた別室をもってしても、・・私は怖じ気づいた。その時私はクリスタル・メスに夢中だったから、ベットインする前に立て続けに一グラム吸引した。クリスタルは私を、異常な感じにそそらせた。SNIFFLESはエクスタシーを少しやってるだけだったから、全身あったかくて不死身みたいだった。とにかく、事態は少々正気じゃなかった。私はもっと詳しく書くつもりだけど、それは今ではない。まず、いくつかのことを整理する必要がある。そうすれば、気楽に、もっと多くの事を感じとれるだろう。 


玄関のドアを開けるや否や、事態は明らかだった。「おいおい、お前らまじでヤバそうだぜ。」俺はLukeの打ちひしがれた顔から、スコット、メイソンと順に見ながら言う。 
「俺はなんともない」と、メイソン。それから彼は部屋の中にふらふら。 
スコットは俺の肩を通り過ぎると、方向転換して、「ねぇ、君。」とウィンク。「リビングルームは・・・どこだっけ?」 
ポケットをパシパシ叩いて、ルークは最後の一発のアシッドを見つけ、差し出して来た。「これをどっかへやってくれ。」せがんでくる。「今すぐに。」

デニス・クーパー「Guide」


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これから趣味で少しずつデニス・クーパーの小説や記事を(出来そうな所を)翻訳して行きたいような気がしている。
理由はただ読んだだけじゃ自分の頭に入って来ないのと、デニスの小説はすごい視覚的で、その中に入り込んで一体化するのはとても贅沢な体験に思えるからだ。
もちろんこの小説の一人称は「俺」が一番適当で、「私」は有り得ないんだけど、自分が入り込むのが目的なので、今はこうさせて貰う。
それから間違っている部分もあると思うので、その時は教えて頂けたら有り難いです。

いや、そもそも発端は、SMOTHERED IN HUGSの中の1995年の文章、THE BALLAD OF NAN GOLDINを自分の写真の冊子の為にずっと前から翻訳しようとしていた。理由はナン・ゴールディンという人にとても興味があったし、自分の写真を撮るのに力を与えてくれるような気もしたし、何よりデニス自身の当時の状況も赤裸裸に書かれていて胸を打つ、いい文章だと思ったからだ。このSMOTHERED IN HUGSという本自体は、デニス・クーパーが得意とする方面に関しては勿論のこと、レオナルド・ディカプリオやキアヌ・リーブスのインタビューから、村上龍(この記事はすごいウケたし身につまされた。神戸の震災の後のインタビューで、内容的には冷笑的なものとなっていると思う。)、デレク・ジャーマン、ラリー・クラーク、ロベール・ブレッソンについてのデニス・クーパーの思い入れについての記事、またはリヴァー・フェニックスやバロウズの追悼文など、雑誌等で公開された文化全般についての多岐に渡るわりと短い文章が沢山集められている。そしてその中のAIDSという記事とその体験が、このGUIDEという小説の元になっている。ヘイトロックのnigelに、まず翻訳を始めるなら小説よりもストレートな文章の方がいいだろうということで教えて貰った。
更に、95年、という年、九十年代の半ば、という点でも面白いと思った。

だが、それだったら現在のナン・ゴールディンやデニス・クーパーにもインタビューしたいし、もっと深く掘り下げたいとも思ったし、自分の写真にも歯痒さがあったので、そのままにしておいた。内容は、ナンの「THE BALLAD OF SEXUAL DEPENDENCY 性的依存者のためのバラード」というスライド・ショーにデニス・クーパーが足を運んだ所から始まって、彼女の生い立ちや写真を始めたきっかけ、現在までの経緯が、彼女自身の言葉を織り交ぜて書かれている。

「KIDSとか、トレインスポッティングといった最近の映画を考慮すると、とてもパーソナルな世界の、注意深く、親密で、徹底的な視点がどんなに驚くべきものだったのか感じるのは難しい。だけど当時は、そんなものは他に無かった。(デニス・クーパー)」

「ええ、多分私は姉のことを考えていると思う・・彼女の死は、私の人生を完全に変えた。私は生活の中で、作品の中で、絶えず、私と彼女の間にあった親密な感覚を探している。それから友達の死についても考えている。姉の死は、もっと抽象的で、象徴的なものだった。彼らの死は、もっと現実的で、この計り知れない遺産を後に残した。
だから私は写真を撮るの。とても沢山の人たちが、ひどく恋しくて仕方がないのよ。」














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