幼稚園時代に「なんでこの遊びはこんなに面白いんだろう?」って思った遊びがあって、
クレヨンでまずカラフルに紙を塗ってから、その上に真っ黒のクレヨンを重ね塗りする。
そして真っ黒になった上を針金で引っ掻いて絵を描く。
すると黒い画面の中に、最初に塗った、下の色が出て来て、思いがけないきれいな色の線が出て来る
その遊びが物凄い好きだったことを覚えています。
引っ掻くという所もいいし、色もすごくきれいだった。
あと、すごく晴れた日、何かの練習が終わって教室に帰る時に、皆で庭に並んでいて、先輩の子達が前で、雲の話をしていた。
それで何かの拍子に、「雲に乗ったら落っこちちゃうよ」って言葉が耳に入って来た。
その時、ガガーーーーン!!!!!!と、頭を殴られるようなショックをくらったのを覚えています。
科学的には勿論知っていたのですが、
本当に乗れない、乗ったら落っこちる、といざ聞いてみると、何か、もう取り戻せないものをなくした気がした。
聞かなきゃ良かったと思った。聞いて良かったけど、聞かなきゃ良かったと思った。
あと、どう考えても自分に一番の影響を与えたに違いない出来事の一つ・・
小学二年位の頃に、毎年夏休みには、一人でおばあちゃんちに預けられていたのですが、外で遊んでると、チョウチョがいた。
それでチョウチョをつかまえようと思って、つかまえた。
つかまえたと思って、チョウチョの顔を見た。
すると、そこには私の手に掴まれて、無表情で、こっちをじっと見つめてる何かがいた・・
思わずぞっとし、すぐ手を離すと、ひらひらとチョウチョは何も無かったように飛んで行った
その時何か自分の中で決定的なことが起きた・・
シゲさんは、「道ばたの花を見て、これが宇宙だ、とわかった」と言っていた。
それで私が「私もチョウチョを見てそれを思いました、それは精神で、狂気だと思います」と言ったら、
「いや、違う、それはnatural(自然)だよ」
と言っていたんだけど、それはシゲさんがやっぱり、ロマンティックなんだなと思う。
私にとって宇宙は、あのチョウチョの目を介して「完全に狂気」ということがわかる
しかしそれは人の尺度で考えているだけで、本当はあっちのが正しいというか、本質なのだろうと思う。
それはそうで、このブログの右下の方にも宇宙写真があるんだけど、「何やってるんだろう?」と思ってしまう。宇宙に対して。
私も勿論何もやっていないのだが、宇宙も一体何やってるのかな、と・・
私の細胞やら、恒常性を保つ仕組みも、何やってるのかなと・・・
そういうのは「知る」「知らない」「わかる」「わからない」で考えちゃいけない問題なのかなとも思う・・
人間の「ある」と「なし」でしか考えられない頭の仕組みこそが限界で・・
全然違う軸があるだろうに、全然わからないしわかれることもないし、余り考えない方がいいのだろう・・
でも知りたいというか、もっとこの、「ガーン!」というのを感じたい思いが常に有る
色とか、雲とか、蝶とか、(こう書いてみると象徴的な現象ばかりだが・・)
あるしファンタジーも欲しいし・・
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